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拙ブログの読者様にはおなじみのエピソードが大半かもしれませんが、これを地上波で放送したことに大きな意義があると思います。
木曜深夜11時台の放送にもかかわらず、2桁の視聴率をとるという関西の人気番組です。
例によって、番組の中身をざっくりとですがまとめてみました。
【当日のテレビ欄より】
日本は世界から尊敬されてる▽日本人だけが知らない感動秘話
【番組公式サイトより】
日本は自分たちが思う以上に世界から愛されている!世界は知っている“愛される日本”のエピソードを紹介!
「ハテナの自由研究」は、ブラックマヨネーズの「はじめての日本」第5弾。
【出演者】
ハイヒール(リンゴ・モモコ)
筒井康隆、江川達也、たむらけんじ
ブラックマヨネーズ(小杉・吉田)
澤山璃奈、岡元昇(abcアナウンサー)
井沢元彦(ゲスト。作家。歴史をテーマにフィクション、ノンフィクション問わずに幅広く活動。『逆説の日本史』『言霊』など著書多数。大正大学文学部客員教授)
※一部進行を変えて再構成しています。
※「ハテナの自由研究」コーナーはカットしました。
※画像は読者様にご提供いただいた動画からキャプチャさせていただきました。
(私の使っているmacos9でついにyoutube視聴ができなくなりました。
裏技使ってキャプチャしたので画像が粗いですがご容赦下さい)
大ざっぱな内容紹介ここから_________________________
こんな調査をご存知だろうか?
「世界に良い影響を与える国」第1位、日本。
これは世界の主要30数カ国を対象とした世論調査で、嬉しいことに日本は2006年から3年連続でトップの座を獲得している。
「金儲け」「アメリカの腰ぎんちゃく」……。
我々日本人は世界からマイナスのイメージを持たれていると何となく思いがちだが、実は自分たちの思う以上に世界から愛されているのだ。
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■プロローグ~リトアニアのユダヤ難民を救った杉原千畝~
オスカー・シンドラーは第二次大戦中、ナチスの強制収容所から1200人のユダヤ人の命を救ったドイツ人。
その正義の姿は世界中で知られ、スティーブン・スピルバーグによって映画化もされた。
しかし、そのシンドラー以上に多くのユダヤ人を救い、世界から高く評価されている日本人がいる。
杉原千畝。
実に6000人ものユダヤ人を救い、その勇気ある行為から「東洋のシンドラー」と呼ばれている人物である。
1940年、リトアニアの日本領事館にいた杉原。
当時、ナチスに迫害され逃げてきた多くのユダヤ難民は、さらなる迫害から逃れるため、国外脱出を望んでいた。
どこの国もビザの発給を拒む中、杉原は本国外務省の指示にそむき、ユダヤ人を国外へ逃すため、独断でビザを発給。
しかし戦後、命令に背いたことを理由に、杉原は外務省から追放され、その行いは一切日本では語られなかった。
彼の名が広く世間に知られたのはその45年後。
ユダヤ人の国イスラエル政府が、ノーベル平和賞に匹敵するとされるヤド・バシェム賞(諸国民の中の正義の人賞)を授与した時だった。
リトアニアの首都では、彼の功績を称え、スギハラ通りと名付けられた道が、今も残されている。
そんな、我々日本人は知らないが世界は知っている、愛すべき日本の歴史を紹介してくれるのが、作家の井沢元彦。
「逆説の日本史」シリーズで知られる、歴史探究のプロフェッショナル。
井沢元彦
「日本人は私たちが思っている以上に、世界の人たちから愛されています。それには当然愛されるだけの理由があるんですが、その理由となる歴史や物語も、意外と日本人は知らないでいるんです」
今夜の「ビーバップ!ハイヒール」は、世界が忘れない日本の物語。
これを見ればもっと日本が好きになる!
〈スタジオトークより〉
井沢元彦
「杉原千畝は、形式的には外務省の本省の命令に逆らったわけでしょ。だからずっと外務省としてはあいつは悪い奴だってことになってて、ひどい扱いを受けてたんです。外国から評価されて初めて、外務大臣が謝りに行ったという」
「他にもこういう人の話はたくさんあるが、今の日本人というのは、ひとつは教育の場で教えられないこともあるし、日本人自体も、これはいいことでもあり悪いことでもあるんですが、人に悪いことしても忘れちゃうし、いいことしてもみんな忘れちゃう。つまり過去にこだわるのは悪いことだという感覚があるので、いいことも悪いことも忘れる」
リンゴ
「日本人は、いいことしたのを『いいことした、いいことした』って言うのを、ちょっと恥ずかしいと思う国民性じゃないですか。『それほどでも…』みたいな(笑)」
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■世界が忘れない日本の物語1~トルコの「恩返し」~
「今から48時間後、イランの上空を通過する全ての飛行機を攻撃対象とする」
イラクのフセイン大統領の爆弾宣言が世界を混乱に陥れたのは1985年。
イラン・イラク戦争の真っ只中のことだった。
この時、200人以上もの日本人がイランに取り残されていたのだ。
外務省はなかなか決断ができず、ついにタイムオーバー。
日本から救援機を飛ばしても間に合わなくなった。
もうあきらめるしかないのか……。
しかしその時、意外なところから救いの手が差し伸べられた。
トルコのオザル首相が、事態を知ってこう言ったのだ。
「ok。我が国が飛行機を出そう。我々は日本人に恩返しをしなければいけないからね」
翌日、日本のマスコミは、タイムリミットまであと3時間という、トルコ航空の奇跡の救出劇を大々的に報じた。
だが、オザルの言う恩返しの意味を知る者はほとんどいなかった。
なぜトルコが日本を助けてくれたのか?
全ては95年前に遡る。
1890年(明治23年)9月16日。
この日、和歌山県・大島を大型台風が直撃。
嵐の樫野崎灯台には宿直担当が二人。
「かなりの雨だな」
「そうですね、今夜がピークですかね」
その時、部屋に入ってきたのは傷を負った大男。
彫りの深い顔立ちに、びしょぬれの身体。
一目で海難事故だと分かった。
「おい、大丈夫か!」
「どこの国の船だ?!」
いくら問いかけても、言葉が全く通じない。
「これならどうだ。分かるか?!」
宿直が差し出したのは世界地図。
男は震える指でひとつの国旗を指さした。
……トルコ!!
「とにかく先に怪我の手当をしましょう」
そうこうしていると、次々に怪我人がなだれ込んできた。
「もう俺たちの手には負えない」
「とりあえず村の人たち全員に知らせましょう!」
知らせを聞いた村の男たちは、海岸で悲惨な光景を目にした。
おびただしい数の船の破片と、倒れた男たち。
わずかに息をしているが、ほとんど体温は感じない。
一人でも多くを救いたい。
ある者は自らの体温で体を温め、またある者は潜って生存者を捜索。
持てる力を振り絞って救出にあたった。
一夜明けて、事故の全容が分かった。
遭難したのはトルコの軍艦エルトゥールル号。
乗組員は総勢650名。うち生存者69名。
つまり581名が死亡するという大惨事だった。
大島村の人々は村をあげて寝ずの救護にあたった。
しかし、ここは半農半漁の貧しい村。
69人もの遭難者に与えるには、着る物も食べる物もない。
さらに台風で村の食料はほとんど底をついた。
「もう限界よ…。もう食べさせてあげる物がないのよ」
「俺たちの分をあいつらに食わしてやろう。俺たちはまだ食わなくたって生きられる」
自分たちの生活をなげうち、一心不乱に救護にあたる村民たちの姿は、不安と心細さでいっぱいだった乗組員たちの心に深く刻み込まれた。
事故は全国に新聞報道され、義援金が募られた。
その後、乗組員たちは神戸の病院に移され、手厚い看護を受けて順調に回復。
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